Brain tumor
脳腫瘍になってわかった
「共感」の大切さ
日本ナラティブ音楽療法協会 理事長 大湊幸秀
私(大湊)は脳に腫瘍が2つあります。
1)右聴覚神経腫瘍 と
2)左三叉神経腫瘍 です。
15年ほど前に見つかり、開頭手術ではなく放射線をもちいた「ガンマナイフ」の手術を受けました。その時のお話をしたいと思います。
2つの脳腫瘍が見つかった時、まず「大きな不安」が襲いました。
「どうしよう」です。
「大きくなったらどうしよう」
「転移したらどうしよう」
「治らなかったらどうしよう」
「仕事が出来なくなったらどうしよう」
「耳が聞こえなくなったらどうしよう」など、
この先どうなるか毎日不安でした。
これらの事を相談できる相手は担当の医師だけです。
私は音楽を生活の糧としていますので、腫瘍が大きくなったり転移しなくても、耳が聞こえなくなり仕事が出来なくなる不安が頭から離れませんでした。
この頃は「曲の周波数、何Hz(ヘルツ)を上げ下げするか」などの仕事もありましたので、耳が聞こえなくなることは恐怖なのです。
このことを担当の医師に話しましたら「聴力を残すんだったら、僕は執刀しなかった」「命が助かった、いや命を助けてやっただけでもありがたく思え」というようなことを言われ、涙がポツンと落ちました。
追い打ちをかけるように「泣いたってダメだからね」の一言。
この医師は、私が音楽で生活していることを知っています。
それから暫く経った5月連休前の受診時、連休中に何かあったら電話しなさいと、目の前で医師自ら携帯の電話番号をメモ用紙に書いて渡してくれました。
連休に入ると耳がだんだんと聞こえなくなり、耳鳴りもひどくなって来たため不安がつのり、休み中なのに迷惑かなと思いつつも、医師が書いてくれた電話番号に電話をしました。
しかし何度電話しても出ません。翌日も電話してみましたが出ません。
どこか海外にでも行かれたのか思い電話するのをやめました。
後日の受診時にそのことを話しましたら「あれ大湊さんだったの。僕、登録していない番号には出ないことにしているから」
拳をグッと握りしめ、つばを飲み込みました。
命の恩人ですが、高学歴で高給取り、素晴らしい住宅に住み、高級車を乗り回しいていても「あのような人間になりたくない」と思った次第です。
脳腫瘍が見つかった時、何かあって仕事上で迷惑をかけてはいけないと思い、関係者の方々へ事情を話しました。
皆さん「こちらは大丈夫だから、何かあってもこっちのことは気にしないで治療に専念して」「負けないで頑張って」「あ〜俺だったら気が変になって倒れるワ、凄いな、頑張って」などの声を頂き、前述とは違う嬉し涙が心の中に広がりました。
「誰かに自分の気持ちをわかってもらう」「心から共感してくれる」ことの嬉しさを実感した次第です。
医師が患者の気持ちに「共感」しても脳腫瘍はなくなりません。
しかし「耳が聞こえなくなるのは、仕事が仕事だから大変だよね」「出来るだけのことはするから、一緒に頑張って行きましょう」などと、私の気持ちに共感してくれたなら「よし頑張ろう」などと明るく、凄く前向きな気持ちになったと思います。
「折れそうな・壊れそうな・崩れそうな」、そんな気持ちに「共感」は勇気を与え救ってくれるのです。
気持ちや思いを誰かと「共感」できる・「共感」されることは、心を癒やし、元気を与えてくれます。
それは悲しいこと・苦しいことだけでなく、楽しいことでも同じです。
笑いは「共感した」表れです。
脳腫瘍となりましたが「心から共感する大切さ」を実感できた、貴重な体験となりました。
ナラティブ音楽療法のセラピストには「心を大切にする」気持ちが根底に流れています。
利用者みなさんの気持ちに「共感」し、「心」を震わせ、「心豊かに」。
ナラティブ音楽療法が目指す道です。
<現在の私>(2021年:夏)
右聴覚神経腫瘍により右耳はほとんど聞こえません。
右耳から小さく聞こえる音楽は、シンバルなどの高い音・ベースなどの低い音、両方共まったく聞こえません。
中域の音が少し聞こえるのですが、それは「割れて、汚い音の塊」のように聞こえ音楽には聞こえません。
様々な音の耳鳴りは年中鳴っています。(なぜか高い音です)
左の耳は正常ですので音楽を音楽として聞くことはできますが、ほとんどステレオではなくモノラルの感じです。
左耳しか聞こえませので、右から話しかけられても左を向いてしまいます。
左三叉神経腫瘍の方、「技術的には名医」のおかげで、顔面がピリピリするなどの症状は出ておりません。
最悪の場合「顔面が痛くて顔が曲がる」「痛くて口を開けることができなくなる」などとのことですが、今のところ大丈夫です。